2018年03月06日

戦争が起こると

スロベニアの悲劇

戦争が起こると、陸にも海にも被害が及ぶ天然資源が失われ、それがさらなる暴力を呼びます。戦争生態学は、戦争と環境が相互に及ぼす影響を研究する学問であり、平和の確保に役立つ側面も持っていいます。


ビエケス島(プエルトリコ)では、住民のがん婚禮統籌入行雁患率が周辺のカリブ海諸国よりも高いです。また、スロベニアの土壌には、有毒な水銀が帯状に分布しているいずれの場合も戦争が原因です。ビエケス島沖では、米国海軍の訓練演習の際に有害な軍用品が大量に投棄され、これがさまざまな病気につながっています。


スロベニアの水銀は、第一次世界大戦の最前線となったソチヤ渓谷で展開された弾幕砲火の化学的な痕跡です。戦場となった地域では、景観全体が激しい戦闘で燃え尽くされ、破壊されます。そして、戦争を取り巻く混沌から、さらに大きな被害が生じます。法律や規律が実効性を失い、天然資源が略奪され、密猟も広まります。アフガニスタンでは、紛争の頻発によって森林破壊率が急上昇し、パキスタンでは「木材マフィア」が景重な木材を収奪した。こうした場面に登場するのが戦争生態学です。


戦争生態学は、戦争が環境に及ぼす影響と環境が戦争に与える影響を調べて、天然資源の危機から暴力へとつながる筋道を断ち切ることをめざしている按摩抱枕。エルニーニョが関係する気象事象と内戦の関係についての論文が掲載されており、両者の間に強い関連性が見られます。


米国の功罪

ことを明らかにしている、21世紀初頭においてもなお、人類は、地球の管理よりも暴力紛争に長けている一方国防総省の予算は、米国国立科学財団の100倍もあります。戦争生態学に対しては、多額の軍事予算を利用したいだけの研究だという批判が必然的に起きている。戦争生態学者は、どうすれば、この冷ややかな見方を変えることができるのでしょうか。生態系と国際援助活動の関係を調べたり、難民キャンプにソーラーパネルを設置して、生活を向上させ治安をよくするような技術的提案もその1つです。戦争が終わった後、きれいな水や食料生産など、平和の継続に必要な生態系サービスを復活させる方法を提示するのも大事な仕事でしょう。それに、「平和公園」の推進もあると思われます。


平和公園

平和公園とは国境線沿いの自然保護区域であり、地方政府と中央政府の利害を共通化させて、観光事業を通じたビジネス・チャンスを生み出そうというものだ。しかし、戦争生態学には悩ましい側面がいくつもある。アフガニスタンで平和公園の建設に参加した経験を持つリッチモンド大学(米国バージニア州)の生物学者PeterSmallwoodは、人心をつかみたい兵士がこうした平和公園プロジェクトを熱烈に支援するため、民生的活動と軍事的活動の区別があいまいになってしまった、と指摘されています內痔 開刀。一方で、戦争が生態系と希少な生物種に恩恵をもたらしている面があります。この事実には、はっきり言って居心地の悪さがある。交戦地帯、軍事基地、兵器研究施設は、すべて事実上の保護区域となっており、現在、その多くが、生物多様性を念頭に置いて管理されています。


細やかな命

北朝鮮と韓国の間の非武装地帯は、タンチョウゾルなどの絶滅危倶種にとって安息の地となっています。また、コロンビアのゲリラ戦士に占拠されたジャングル地帯では、開発の心配をしないですんでいます。だからといって、戦争生態学が戦争状態の継続を望まねばならない理由などありません。。平和構築のための準備作業を進めておけば、交戦地帯が解放されたときにそれを生かすことができると思います。


アメリカの思惑

現在米国は厳しい財政事情にあり、聖域とされてきた国防省予算でさえ厳しく削減されています。こうした生態学や自然保護の研究が真っ先にカットされるのは目に見えています。しかし、こうした緊縮財政のもとでも、戦争生態学研究は継続されるべきであろう。戦争生態学にはグレーな面がつきまとう。宣伝活動と平和創出活動の中間に位置付けられ、また、危害を緩和する活動と暴力を広報によって糊塗する活動の中間に置かれているからです。それでも、ヒトと環境の交わりに関する研究は、社会にとって大きな意味を持ちます。戦争は、恋愛、音楽、果てしない好奇心とともに、人類の最も特徴的な活動であるからです。ミジンコも同様です。食物連鎖の底辺にいる生物たちは、真っ先に殺されます  


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2018年03月06日

手元を照らしながら

 裕太と颯太が真夜中まで話し込んで、母さんに怒られている頃・・・

1つの人影が、夜の闇に紛れて走っていた。

その人物は、迷うことなく、目的の場所までたどり着くと、

慌てたように、小学校の花壇をスコップで掘り返している。

手に持ってきた、懐中電灯を、横倒しにして、手元を照らしながら

何かを探している・・・

中々見つからないようで、スコップを突き立てては、次の場所へ・・・

を繰り返して、移動しては、同じことを繰り返している。

そうして繰り返すこと数10分。

ようやく何かが突き当たったようで、いったん手を止めると、

懐中電灯を手に取り、その穴を照らしてみる。



 黒々とした穴から、黒いビニール袋に入った包みを取り出すと、

急いで、足で土をけり出すようにして、再び穴を埋め戻し、

何度も何度も、スコップで土をたたいて、踏み固める。

そして満足したように、立ち上がると・・・

スコップを用務員室のドアに立てかけると、急いで懐中電灯と、

黒いビニールの包みを手に、立てかけてあった、自転車に飛び乗った。

まるで、誰かに見つかることを、恐れるように・・・

自転車のライトは、あえてなのか、点灯しないままに。



それは、ほんの数分の出来事で、それに気付くものは、誰もいないようだった。

男は・・・自転車をこぎつつ、ポケットに手を突っ込むと、おもむろに、

校舎の窓にめがけて、何かを投げつけた。

ガシャン!という、窓ガラスの割れる音が響いてくると、男は再び

全速力で、自転車をこぎ出し、あっという間に夜の闇の中に、消えて行った。

その場には・・・割れた窓ガラスと、自転車のタイヤの跡だけが、くっきりと

残されるだけだった。  


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2018年02月09日

家族ぐるみでお

10年ほど親しく付きあっていた夫婦がいた(仮にBさん夫婦と呼ぶことにする)。
 年齢はわしらより少し下(5歳ていど)だったが、家族ぐるみでお互いの家にもよく行き来した。いっしょにくるまに乗って食事に出ることもあった。

 そのBさんの奥さんが、60代後半あたりから支付寶優惠、あれ、ちょっとおかしいぞ、というところが出てきた。専門の病院でみてもらって、初期の認知症と診断された。
 ああ、ついにすぐ身近なところに現れたか・・・と、改めて現代とリアルに向き合うような気がした。
 しかし向かい合って話しているぶんには、ほとんど正常と変わらなかった。 

 驚いたのは、子供たちの反応の速さであった。
 Bさん夫婦には子供がふたりる。二人とも男だ。長男はマニラに住んで大々的に事業をしており(妻もフィリピン人)、次男は親からくるまで1時間くらいのところに家庭を持っていた。

 子供たちふたりで相談はしたのだろうが、具体的に動いたのは日本にいる次男である。母親に認知症の気配が出た段階ですぐに老人ホームを探しはじめた。
 そしてあれよあれよというまにコトは進んで、Bさん夫婦は老人ホームに入れられてしまった。

 70歳前後だった亭主のほうは、まだ年相応に健康だった。だがホームに入って半年もすると、びっくりするほど老けてしまった。
 つい2,3年前までは、これからおじラグビーを始めようと思うんだ、みたいなことを言っていたのに、彼らの住む老人ホームを訪ねたとき、部屋があんがい狭支付寶いのでそう言うと、「これでいいの。すぐにここよりもっと狭いところに入るんだから・・・」みたいなことを言うようになっていた。顔つきや肌からも生気が失われて、別人のようだった。

 奥さんの方はともあれ、しっかり自分があるように見えた亭主まで、子供のいいなりに唯々諾々とホームに入ってしまったことが、実はわしには意外だった。

 どんな家庭にも、第三者には分からないそれぞれの事情があるだろう。しかしそれにしても、第一次反抗期も第二次反抗期もない子供のように、ひたすら従順にこどもの言うことに従うB氏夫妻を、わしは理解できなかった。ほとんどボー然と眺めていた。

「老いては子に従え」という。
 しかしはっきり言ってそれは子供次第だろう。

 わしらには子供がいない。夫婦で選択した結果だが、正直老いが近づいてきたとき、不安がないことはなかった。自分たちには頼るべき若い柱がないことに心ぼそさを覚え排毒瘦身、首筋に涼しさ感じながら、しだいに光を失う西空を眺めることもあった。

 だがこういう事例を身近に目にすると、”しっかりとした” 子供のいることが果たして幸せなのかどうか考えてしまう。

 何年か前のどこかの首相の言いぐさではないが、まさに「人生いろいろ」だ。
 それでいいのだが・・・。  


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2018年02月09日

若さを羨ましいと

いま目覚めたこの朝が新しい人生はじまり

これは日めくりカレンダーの元日の言葉で、年を取ると、若い時のようにはいろいろ悩まず、まいいかと受け入れるから不思議である。鏡の前で、衰えてゆく体にも、おろおろしなくなった。若さを羨ましいと思う時もあるが、俊を経ることで得た静かなやすらぎもある。

もう大きな努力目標も立てない。失敗にも嘆かない。失敗ほど人生を深く考えさせてくれるものはないのだから。いくつかの後悔は心の奥深くあるが、そのことを思い出すたびに、素直になれるから不思議である。

1964年10月の東京オリンピックでは、一人海の底に沈んでいくような寂しさを感じたが、国にも人々にも高度成長の夢があり、理想が生きていた時代で、心も昂揚していたが、交通事故で人生が一瞬にして断ち切られたのは、開会式の数日前だった。意識がもどったとき、私は現実が理解できなかった。麻酔の言葉を聞いた。がオリンピックの記憶は全くない。市川崑監督の「東京オリンピック」を見たのが、私のオリンピックである。

でもも大丈夫、私をありのままに受け入れて下さった方々に支えられて今生きている。こんな書く場を与えて下さり、読んでくださる方々があってのお陰で、私の生きる力を頂いた。今日も新しい一日が始まる。兄弟みななくなって、車いす生活の一人ぼっちの大石さんのエネルギーにも驚く。感謝!  


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2018年01月25日

反省する機会が多


私は長期間に亘り母を見て居ますから、介護する側の苦難さは経験してることもあって、ある程度は理解しているつもりです。しかし、介護受ける側は私が物心ついてから古希間近のこの齢まで、幸いなことですが人間ドッグの検査入院以外は白い病院ベットに横たわり、入院治療を受けた経験はありません。そのため、看護や介護が無ければ、生命を繋ぐことが出来ない弱者の気持ち直資中學などは正直理解できません。しかし日々母と過ごしながら、母が発信する一挙手一投足からハッと思い、自分の言葉遣いや態度に反省する機会が多々あります。おこがましいですが、介護する側と介護を受ける側双方の気持ちを妄想しながら綴りたいと思います。

ある日突然、家族に起こる重篤な疾病の事実に直面し、冷静さを失くしてオドオドと慌てふためきます。家族団欒が当たり前にあると疑わなかった凡庸な日常が、一瞬に消失します。それでも発症直後は無我夢中で家族寄り添って励まし合い、平穏な日々が戻る日がまた、来ると信じて、病人の全快をひたすら祈ります。夕暮れになると日々×印で消し込んで来た月カレンダーも黒く埋まり床墊床褥、1枚、2枚、3枚と月日が経ると、家族には今後の行末など脳裏に掠め、どっと疲労感が漂います。こんな懸念を払拭出来て、家族一同が全快の喜びを享受する日が来れば万々歳です。意に反して、重篤な障がいや認知症などの後遺症が残存してしまうと、家族には更なる決断を求められます。リハビリテーション病院、療養病院へ転院するか、福祉施設に入所するか、またまた自宅で療養するかと、ケアマネージャーの助言を得ながら苦悩します。福祉施設やリハビリ病院、療養病院は勿論空きが無ければ駄目ですし、更なる家族への経済的負担も重く圧し掛かります。制度上では、特養以外の公的社会福祉施設は終の棲家になり得ませんし、病院入院もあくまで自宅へ帰るまでの、途中下車です。要介護者はいつの日か自宅にて家族が介護することとなります。介護の実体験した事が無い人が、軽々と「介護は大変とですね。」などと話しますが、我が身に降りかかり、体験しないとその有り様は到底理解できないと思います。症状の濃淡はありますが、要介護者のいる家庭では昼夜に亘る介護を余儀されます。要介護者が有する後遺症の軽重によって介護の介護負担度は様々ですが、これまでの日常生活パターンが一変します。家族が大切な家族を介護するという初体験は、過去の景色とはあらゆる面で異なって映ります痔瘡溶解技術。介護者の実生活でも制御(我慢)を強いられ、外目からは付き合いが悪いと罵られたり、出無精となって孤独感を感じることも儘あります。仕事も旅行も行事も常に大切な家族の介護を大前提に組まなくてはなりません。まして、認知症や重度な後遺症を有する家族を有すると、多くの夢や希望を諦めなければならないかも知れません。しかし、私達は明日の健康で居られるとは誰も担保してませんし、判りません。人生支え、支えられてここに存在出来るのであって、いつの日か私が誰かに大切な人と思われて、嫌がられず介護して頂けるように誠心誠意、覚悟を持って頑張りたいと思います。
裏山に咲く山百合2017

人生峠を越して下り坂に差し掛かると、「病」や「死」が現実味を帯びて来ます。「健康で長生きし、万が一病気になったとしても長患いなどせず、 しもの世話にもならず、安らかに往生をとげたい」下り坂を下りる誰もが乞い願うものだ。介護する人たちに迷惑をかけたくない、おのれの尊厳は守りたいとする自尊心からの切ない願望なのです。だから最期はぽっくり、こっくりと大往生したいとの願望が「ポックリ信仰」が脈々と全国各地で信仰されている理由です。そうそう、かつてPPK(ぴんぴんコロリ)という言葉も一昔前には流行った事を思い出します。しかし人生ままならず、思い描く様に往生出来る人は少数派です。大多数は願いかなわず病と対峙して、介護に凭れて不自由な日常をやり過ごすこととなります。私が最も残酷と空想するのは、身体機能は壊滅状態で寝たきりとなって、なぜか五感は正常に機能し、周囲の状況はつぶさに判る病んでいる人(悪口雑言、邪魔者扱いされているのが判る)です。それに、自害出来る機能も全くありません。また、高齢化に伴い認知症が増加していますが周辺の迷惑は別として、童心に返り完全に自由奔放に振舞える極限の認知症患者は、自身幸せなのかも知れません。しかし悲しいのは「斑ボケ」の患者で、日常活動において、正常と異常が交互に出入りし色々な行動するため、周囲からなじられ、怒鳴られてオロオロ、トボトボと自信を失くし深く自尊心まで萎えてしまいます。あくまで、私の妄想ですのでご容赦願います。きっと多くの要介護者は介護人や家族に、お世話頂くことに対し、心密かに感謝の気持ちと、言葉にならないもどかしさを秘めて、耐えている処が多々に亘りあると思います。尊厳を尊重して、読み解きながら要介護者に「有意義な私の人生だった」と回顧して頂けるその日まで、その笑顔を糧に私は寄り添って行きます。実りの秋2017


最近、地域や家族の介護を観察していると、時代の変遷からか年寄りが尊敬されない風潮が読み取れます。心身が老いて威厳を喪失すると、家族から邪魔者扱いされることすら見受けられて、昔あった年長者を大切にした、懐かしい文化を思い起されセンチメンタルにも淋しい気持ちになります。昔には厳格な嫁姑の規律文化があって、姑の介護は嫁がするのが当たり前だった時代がごく最近まで我が国では風習として残っておりました。世が変われば、嫁姑の力関係も形勢逆転し、姑の介護は嫁でなく実子若しくは社会へ委ねるのが当然と言い放つ嫁もおります。生老病死、人は生まれて必ず老いて病んで、いつの日にか往生します。病んだ時、弱った時傍らに寄り添って介護してくれる人様には、「ありがとう」と心の中で感謝の言葉を繰り返します。介護してくれるあなたの優しさ、醜さは、いつの日かあなたが病んで要介護者となった時、ブーメランの様にあなたの元に戻って来ます。その時やっとこの嬉しさも悲しさも理解できると思いますよ。未来のあなたが慟哭しない様、今出来るあなたの優しさと温もりを必要とするあの人に、 目一杯届けてください。群馬にて2017  


Posted by cindy1232  at 16:19Comments(0)

2018年01月25日

遠藤周作の作品


 遠藤周作の作品の中には、『沈黙』に代表されるようにレノゲ(背教者)がよく登場します。


 そのことについて、遠藤一家と親交の深かった聖心女子大学 第二代学長のマザー三好切子は「少年周作のあとを追って」で次のように述べています。
<その頃の夙川教会に一見フランス人らしい初老の男性がいた。彼はよく教会に来て、二階の聖歌隊のうしろに坐ってそっとミサにあずかっていた。きくところによると彼は巴里宣教会に属していて、かつてミッショナリーとして日本へ派遣されてきたが後々司祭職をすてたということだった。>

<どのような印象を少年周作が彼から受けたかはわからない。しかし後日、同じ経路をたどった、遠藤一家とごく親しいドイツ人の司祭、H神父の面影がこのフランス人と重なり合って、作家遠藤周作の中には人間の弱さ、特に背信者の人間的弱さへのあたたかい思いやりを養ったのではと思われる。>

 遠藤周作はエッセイ『合わない洋服』などにも夙川の教会で目撃したことについて述べていますが、その体験をもとに小説にした作品が『影法師』です。
 フィクションなのですが、遠藤周作が少年時代に夙川の教会で実際に目にし、感じたことについて書いているようです。
<その教会に時折、一人の老外人がやって来るのでした。信者たちの集まらぬ時間を選んで司祭館にそっと入る彼を僕は野球をしながら見て知っていました。「あれは誰」伯母や母に訊ねましたが、彼女たちはなぜか眼をそらせ黙っていました。しかし足を曳きずるように歩くこの男のことを僕は仲間から教えてもらいました。「あいつ、追い出されたんやで」神父のくせに日本人の女性と結婚し、教会から追放された彼のことを信者たちは決して口には出さず、まるでその名を口に出しただけで自分の信仰が穢されると言うように口をつぐんんだものです。そっと会ってやるのはあのピレネー生まれのフランス人司祭だけだった。僕自身と言えば、そんなこの老人を怖ろしいような、そのくせ好奇心と快感との入りまじった感情でそっと窺っていたものです。>

ここに登場するピレネー生まれのフランス人司祭とは、明らかにメルシェ神父をモデルにした人物です。

『影法師』は聖職者でありながら、神の教えに背いて結婚し、教会を去っていくカトリック神父の内面の孤独と寂寥を描いた作品ですが、「貴方」として登場する元神父さまはマザー三好切子が触れられていたドイツ人のH神父です。

 遠藤文学にも大きな影響を与えてH神父については、『影法師』を紐解きながらどのような人物であったか、探ってみましょう。  


Posted by cindy1232  at 16:16Comments(0)

2017年11月17日

瞬間まで精一杯

田舎の旧友が亡くなった事を知り事務所でぼんやりしていた。突然、FAXが入り、得意先の社長のお母様がお亡くなりになり、お通夜と告別式の通知だった。社長 phd hong kong のお母様とは面識があった。すぐに親しい古参社員から電話が入り、山梨市での告別式に行く事を告げた。

 明朝午前9時前に家を出て、東武線、ツクバエキスプレス、JR武蔵野線、JR中央線、最後は高尾駅で各駅停車に乗り換えた。相模湖や上野原、大月などを通過するにつれ、赤、黄色、オレンジの見事な紅葉風景が続いていて、思わぬプレゼントにしばし心が晴れた。トンネルを抜け勝沼に入ると、盆地に溜まった低い雲海に山裾は隠れ、紅葉した葡萄畑が雨に濡れて静かに伏せていた。 

 午後12時30分。電車を4回乗り換え3時間半かけて山梨市に着いた。醫研美ホームで同じ電車に乗っていた得意先の社員らと会い、タクシーに分乗し告別式会場に向かった。

 母上様の葬儀は神道による神葬祭でした。焼香の代わりに玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのを行いました。玉串とは紙垂(しで)と言われる白紙を榊(さかき)の小枝に付けたもので、これを霊前に捧げて二礼二拍手一礼しました。食事会では懐かしい顔と再会することができました。大恩人でも電子療法ある社長の人徳でしょう。良い葬儀というのがあるとすればこのような葬儀なのではと思いました。神葬祭は午後一時から始まり四時半頃に終了。帰りは古参社員らと四人で昔話に興じつつ、準急にて新宿まで行き散開し帰宅しました。

 故郷の家では仏壇と神棚があり、祖母は毎朝、仏壇と神棚のお供えを欠かしませんでした。今は神棚のある家は珍しくなりましたが、昔から日本人は神仏共存する生活をしていたわけです。お寺も神社も分けへだてなく参拝する日本人のおおらかさ。これは大事なことだと思っております。

 それにしても友人知人の訃報を多々知る年代になってしまいました。いずれ我身。その瞬間まで精一杯生きるしかありません。ファイト!であります。

  


Posted by cindy1232  at 17:07Comments(0)

2017年11月17日

課金はしていない

詳しくは上のリンク先の資料を見てほしいが、見たくないという人のために結論だけを言うと
支付寶hk

大幅な売り上げ減

これが話題で、噂では、ツイッターのトレンド入りもしたらしい。

いち白猫ユーザーとしては今後が非常に不安である。

誤解の内容に言っておくと赤字ではない。

おそらく出費を抑えた結果なのだろうが、黒字は黒字だ。
そういう意味で言えば、「もう年内持たない!」なんて危機的状況ではないようだ。

しかし、このままの状況が続けばわからない。

さらに不安なのは今後の経営方針だ。

コロプラは今後9本の新作をリリースするらしい。

うーん…

一番の売り上げを上げている白猫のユーザーおよび売り上げがここまで下がっている中でそれをやるのは愚策としか思えない。

こういう手段をとるのは馬場社長の”ミルフィーユ構造”という経営方針があるのだと思う。

ただ、この戦略は以前の記事(参考記事 白猫プロジェクトに感じる不安と不満)でも少し触れたが、2つの有り得ない前提がもとになっていると思う。

1つ目は、ヒット作が出続けること。

ヒット作と言うのはそうそう出るものでもないと思う。

例えば、ゲームメーカーとして有名な任天堂やスクウェア・エニックス、カプコンのようなメーカーでも一つのヒットを何本もシリーズ化して売り上げを作っている。

ゲームソフト一本一本でカウントすれば、例に挙げた企業は何十本とヒットを上げているような印象を受けるが、例えば、マリオ、ファイナルファンタジー、ドラゴンクエスト、バイオハザードなど、それぞれのシリーズを全て一つとしてカウントすればそのヒット数は十分の一、二十分の一になってもおかしくない。

ヒットは出ないもの

そうみなしているからこそ、今も生き残っているメーカーは、良く言えばその作品を大切にして、悪く言えばその作品にすがってきたのだとおもう。

実際、コロプラは白猫プロジェクト以降ヒット作を出せていない。

2つ目は、何も知らないユーザーが現れ続けること。

過去のコロプラのゲームについて何も知らない、覚えてない、そんなユーザーが常に現れてくれる、そんな前提をもとにしている気がする。

だが残念ながら、白猫プロジェクトというゲームの運営の評判はネットを開けば転がっている。そもそもiTunesやGooglePlayに載っている。

さらに言えば、次のコロプラのゲームに最も注目するのはおそらく、今のコロプラのゲームのユーザーだろう。

その人たちが、次のゲームに対して何の予断も持たずに始めるとは到底思えない。前にやっていたゲームが悪ければ「次も悪いだろう」と考えて遊んでくれないかもしれない。遊んだとしても、お金は払ってくれないかもしれない。

実際俺自身、白猫を始めた後にリリースされたコロプラのゲームは触ってはみたものの、課金はしていない。
継続して遊んでもいない。

運営の仕方にうんざりした後に出たゲームはそもそもやってない。

そんなわけで、新しいゲームを出すのならまず白猫を大事にしなおしてみる。もう一度白猫に力を入れる、それをやらなければいけないのではないだろうか?

個人的に思う、売り上げとゲーム内容及び運営を改善する案を2つ出しておく。

1つ目は過去キャラの復刻

白猫プロジェクトというゲームは去年の1月まで過去のキャラを復刻しないという方針にしていた。
それ以降のキャラは復刻もあるのだが、それまでのは復刻しないと公言している。

それを撤回する。

ユーザーの一部には「裏切られた!」と思う人もいるかもしれないが、そこは何らかの補償をする。それでも納得できなくい人は仕方ない。

俺としては、喜ぶユーザーの方が多いと踏んでいるのでその人たちには申し訳ないが「損して得とる」ようにするべきだと思う。

そうでないと、いまそうであるように、コストを費やして上方修正しても利益にならないことが、上方修正に及び腰にさせていて、それが結局のところ、ユーザーの利益になっていないのではなかろうか?

1年たてば性能的に使えなくなるのなら、課金するメリットは低い。それを補うのが上方修正なのに、それが中途半端では課金する人も減るだろう。

2つ目はスタミナ制の採用

白猫にはスタミナ制がない。いつでもどこでも好きなだけ遊べる、それが売りでもあるのだが、別のソシャゲと違って、遊んでもらうことが利益につながっていない。
それ故にガチャでお金を稼ぐしかなくなっている。それが今の過度のインフレと別枠限定の廃止につながっているような気がする。

「前の限定キャラ手に入りませんでしたか?安心してください。今度のキャラはもっと強いですよ!ただし、16人中2~3人しか出ないので頑張って課金して回してね♡」

これを繰り返すしかなくなっているように見える。

そのせいでユーザーは疲弊していると思う。

そしてユーザーの疲弊がそっくりそのまま売り上げの減少として今顕在化しているのではないだろうか?

それを思うと、スタミナ制というのは健全な運営をするためには上策であり、ユーザーにとっては多少不便であるが、大局的な視点で見れば結局得なのではないだろうか?

スタミナ制というとマイナスイメージの方が大きいかもしれないが、俺自身は「ゲーセンのゲームを100円払ってやるようなもの」と思っているのでそこまで嫌なイメージはなく、むしろ当然だ。

もちろん、スタミナが満タンの状態でどれだけ遊べるかにもよるし、そもそもゲームがおもしろいということが前提なのだが。(白猫を面白くする方法は上に挙げた過去記事でも触れたのでここでは詳述しない。気が向けば記事にする)

最後に言っておく。

白猫は良ゲーだ。

魅力的なキャラとその多さ、良いストーリー、快適な操作性、便利なUI、タウンというやりこみ要素などなど。

俺はそんなに多くのソシャゲに触れてきたわけではないが、少なくとも、その少ない中ではナンバーワンだ。

そういう意味でも、その面白さをガチャの乱発、過度なインフレによって「ついていけない…」と思わせるような運営はやめてほしい。

白猫はおもしろいということを誰よりも運営が理解していないような気がする。

このゲームのポテンシャルならV字回復だって可能だと俺は思う。「白猫テニス」のようなスピンオフ的な作品も「白猫2」のような続編だってまだ展開可能だと思う。

だが今のままではだめだ。

「白猫は良運営だ!」そう思ってもらえるようにならねば何をやっても「どうせコロプラの運営じゃね…」そう思われて手を出してもらえない。

だからこそ、もっと今の白猫を大事にしてほしいものだ。  


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2017年08月26日

わからない其义だが、その形

扉をあけて、過去に通じる。時空を越えないで、流れて行く河辺の河辺、靑緑の柳を見ると、死んでの枯らす。今日と昨日は1日でしている。
一番好きな古い校区から出発して修江川のほとりで、ずっと黄庭坚記念館へ行く。例えば・ラプターズ寝返りの修江、時々撮っひとしきり大波を持って、ピュアなニュースを伝え、それを飲むの四方。に釣り人は、私が足を止めたり、川の岸辺の修理や魚にかけて興奮の釣り人の手で。通常马家州が過ぎて浮き橋を越えて、雄威の修の川、不屈の雄姿に揺れて。早く忘れたい眺め林後の屋根の日はまた覚えていて、その川岸でおなじみの土味。
これまでと違って、今私は旅行用の袋を背負って、直接的に入るしかない栄枯は起伏して、ポプラ遮日、人通りの遊園地。そこに私は、1か所の庇護の地方かもしれない、物思いに憧れて、手を伸ばして書くかもしれない、でも私は絶対に展望未来。いつでも発作の大河、すべての幻、すべてが泡になる可能性がある。やる気や興味が失せる、もう袖の下起き上がり、有形の無の神の浪人、遊走なじみの場所。
第二駅は浮き橋だ。最高で止まって岸辺、深水に淺い流れの小魚を眺めて、橋の上を歩くのが遠くない。最後、私は両手を広げて、昨日、恍の惚麗の。この川に前に曲がり、後ろ橋の風景の中に、私は自分の屋台のインクのつもりで、たまには感傷的になって、やはりそんなに洒落。
過ぎ終わって第1基の浮き橋、向こうの山の斜面にある古い寺という青岩寺。四方を山の緑環化、隠して、天然の障壁にも探し出せないことが恐くなくて、意外にもそれを。人はもう少し近くにすれば、きっとあの抑揚の鐘の線香をそそるとが、訪ねた欲望。蛇行小道に沿ってたたく山門、あなたはきっとびっくり道:“この水にも、この清修佳所。弥陀仏。」
聖道宴を享受したのは、私は信じるべき行だけではなく、肩だっツァンヤン・ギャムツォ、私は深くも、ドアの弟子。前に出た古刹路は深いのは、フジ、老木と川がない、付き合うの客。本当にあなたの足音が聞こえた、またびくびくし、速く歩く速度が速くて、この時、あなたの先をの亭とアンティーク建設の角がとれました。
憶測必要はない、それは黄庭坚記念館。これまで、私は全部で4度来て、一回すべて盲人ができて、しかしやはりその場にいて。今私は望まない自分に習熟する古韻を持ちたい、墨客の心に関係なく、どこに来て、単身、怒って立ち去る。拝むの心、汚染、描写しないで、それは心の中で、私は文明に殘。その壁の上の書道、靑石の古跡、  


Posted by cindy1232  at 15:21Comments(0)